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代表挨拶

子どもたちの、子どもたちの、子どもたちへ

代表挨拶

誠実に、クリエイティブに。
より良い生活環境を後世の人々に遺すことで、
地域社会に貢献します。

1955年の創業以来、「貞誠」を社是とした当社は、そう考えてまいりました。私たちが考えるより良い生活環境とは、「安全・安心」かつ機能的であり、地球環境にやさしく、そこに居する人々のこころを豊かにするものです。

私たちは、お客様の内にあるイメージやご希望を具現化するため、お客様とともに考え、ご要望を明確にし、クリエイティブなデザインをご提案いたします。そして各分野のプロフェッショナルとともにプロジェクトを監督・施工し、常により良い建造物の建築を目指します。


また、近年、気候変動問題や人権問題などの社会課題が世界レベルで顕在化しているなか、サステナビリティへの配慮、社会との共生、ガバナンスの向上を図ることが企業の持続的成長の大前提となっています。当社ではそれらに配慮した経営の推進をはかるとともに、従業員一人ひとりが、地球環境、社会、企業の持続可能性への意識を一層高めて事業活動にあたるべく、日々誇りをもって取り組むことを目指しています。

より良い建造物や生活環境を、子どもたちの、子どもたちの、子どもたちへ遺すこと。
それが私たちの、不変の信念です。

代表取締役𠮷澤 尚登

会社概要

  • 会社名
    吉澤建設工業株式会社
  • 代表者
    𠮷澤 尚登
  • 所在地
    〒369-1234 埼玉県大里郡寄居町大字折原2085番地1
    Tel. 048-581-3050
    Fax. 048-581-3053
  • 創業
    1955年3月
  • 資本金
    30,000,000円
  • 事業内容
    ・総合建設業(建築工事・土木工事・解体工事・舗装工事等の施工、監理)
    ・宅地建物取引業
    ・上記に付帯する一切の業務
  • 許可
    埼玉県知事許可(特-29)第5728号
    (建築工事業 土木工事業 解体工事業)

    埼玉県知事許可(般-29)第5728号
    (舗装業 とび・土木工事業 大工工事業 水道工事業)

    産業廃棄物収集運搬業許可 許可番号 01100179080
  • 登録
    1級建築士事務所登録:埼玉県知事登録(11)第363号
  • 免許
    宅地建物取引業免許:埼玉県知事登録(1)第24865号
  • 資格保有者
    1級建築士 2名
    2級建築士 1名
    1級建築施工管理技士 2名
    2級建築施工管理技士 1名
    1級土木施工管理技士 4名
    2級土木施工管理技士 2名
    登録2級建設業経理士 1名
    宅地建物取引士 1名
  • 取引銀行
    埼玉りそな銀行 寄居支店
    武蔵野銀行 寄居支店
    群馬銀行 深谷支店
    埼玉懸信用金庫 寄居支店
    熊谷商工信用組合 寄居支店

アクセス

沿革

  • 1955年
    𠮷澤健次が埼玉県大里郡寄居町で創業
  • 1967年
    𠮷沢木材工業株式会社設立
  • 1973年
    吉澤建設工業株式会社に社名変更
  • 1973年
    資本金を1,000万円に増資
  • 1976年
    資本金を2,000万円に増資
  • 1979年
    資本金を3,000万円に増資
  • 2002年
    𠮷澤健次 会長に就任
    𠮷澤尚登 社長に就任
  • 2015年
    創業60年
  • 2022年
    不動産事業部を設立

創業物語

1創業者・𠮷澤健次

1927年、創業者・𠮷澤健次は埼玉県北部にある折原村(現・埼玉県寄居町)に、農家の9人兄弟の四男として生まれました。

健次が3歳のとき、麻疹(はしか)に罹患。当時この地域では、子どもが麻疹にかかっても医療機関を受診することは一般的ではなかったようで、健次も自宅療養のみで治癒をはかっていました。

しかし、運悪く病状が悪化。命はとりとめましたが、高熱にさらされた健次はほとんどの視力を奪われてしまいました。

光や動くもの・人のシルエットはぼんやりわかるものの、小さな文字は読めません。小学校に入学すると、後ろの席から黒板の文字は見えないため常に一番前の席に座っていたそうです。

しかし、4年生になったとき。新しく担任になった先生に「𠮷澤、なぜ背が高いお前が前の席に座っているんだ!一番後ろに行け!」と、怒鳴られました。それに腹を立てた健次は「二度と学校に行くものか」と誓い、それ以来一度も学校に行くことはありませんでした。一度決めたら絶対に引かない性格はこのころからのようです。

1940年頃の𠮷澤家。後列左から3番目が𠮷澤健次

2修行からの帰還

小学校を卒業する歳になった健次は、手に職をつけるため、都内にある盲目のあん摩師が営む治療院へ住み込みで働きに出ることになりました。昔で言う「丁稚奉公」といったところでしょうか。

しかし、あん摩の修行に加え治療院の日常生活の手伝いは、健次には辛い仕事でした。文字が書けない健次は、兄弟子に代筆を頼み、すぐ上の兄である弥生(やよい)に手紙を書きます。

―弥生兄さん、俺はもうこの生活はいやだ。帰ったらどんな仕事でもするから、家に帰らせてください。

それを読んだ弥生は、自転車で健次を迎えに来ました。その距離、およそ100km。当時の道路状況と自転車の性能を考えると、片道8時間程度はかかったのではないかと思われます。家に戻った健次は、それ以来どんなに厳しい農作業や家の仕事でも、文句を言わずに働きました。

3「山師」

当時𠮷澤家では、農業のほか山林の買付けや伐採を請け負う「山師」の仕事もしていました。長兄の福吉(ふくよし)につき山師の仕事を懸命に覚えた健次。

広大な山林の立木を買い付けるため、一本一本の木の値打ちを勘案している暇はありません。まして視力が弱い健次は、立木の良し悪しを見た目で判断することはできませんでした。

そこで健次は、手で触った感触と、叩いたときの音、葉が風に揺れる音、そしてその場の雰囲気で山林の価値を判断しました。のちに健次は、「良い木は、葉も良い。だから、良い山林で葉が風に揺れたときの音は、そうでない山林の音とぜんぜん違うんだ」と、息子(現・吉澤建設工業代表)に語っていたそうです。

4商売の面白さ

山師の仕事のほか、藪(やぶ)や薪を集め隣町の瓦屋(住宅の瓦を焼いて造る仕事)へ売り歩くことも健次の仕事でした。

長兄の福吉に言われた通りの値段で、言われた通りのルートを通り何件もの瓦屋を回っていた、ある日。最後の1軒をたずねるころには、わずかな薪しか残っていませんでした。

それを見た瓦屋の奥さん、「あらやだ、今日はこれしかないの?困ったわ。今度はうちにいちばん最初に来てちょうだいね」と、健次のポケットにそっとお金を忍ばせました。

当時、健次は14~15歳。「需要と供給」という市場経済の原理を、身をもって感じた瞬間でした。

戦前戦中の教育をしっかりと受けた同世代の男子が徴兵を意識し、また徴兵されるなか、身体的な理由で徴兵を免れた健次は、はからずも商売の面白さを身体で覚えていったのです。

1954年はじめ、健次は結婚。それと同時に長兄・福吉のもとを離れ独立することを決めました。この年が、吉澤建設工業の創業年です。その年の暮れには長男・尚登(現・吉澤建設工業代表)が生まれました。

長男・尚登を抱く健次の妻すみ子(1955年頃)

5「貞誠」の精神

独立した健次は、山師の仕事から材木屋へ転換。そして、建設業者と取り引きする中で得たノウハウをもとに、1973年には建設業へと転換しました。

時代は高度経済成長期。多くの土木工事や、木造住宅の建築を手掛けるようになりました。

会社の成長とは裏腹に、健次は徐々に視力を失っていきました。そして40代後半、健次は「全盲」に。それでも毎日杖をついて自宅から徒歩数分の事務所に顔を出し、社長席に座るのが日課でした。

健次が「山師」のころから、商売をする上でもっとも大切にしていたのは「誠実であること」です。建設業者になってからも、その精神は変わりませんでした。

健次が築いた吉澤建設工業は、長男の尚登に引き継がれ、現在に至ります。今後も社是「貞誠」を貫き、つねに未来を見すえ、事業を展開していきます。

材木屋時代、オート三輪に腰掛ける三男・康広(1965年頃) 土木工事を行う従業員(1970年頃)

私たちのSDGs

私たちは、SDGs(持続可能な開発目標)を「子どもたちの、子どもたちの、子どもたち」へ持続可能な社会を遺すために重要なフレームワークであるととらえ、積極的に取り組んでいます。ここでは、SDGs達成のための取り組みを「レジリエント(強靭)な社会の実現」「誰もが安心して快適に暮らせる地域・社会の実現」「サステナブルな社会の実現」の3つに分けてご紹介します。

レジリエント(強靭)な社会の実現

地震や豪雨などの自然災害リスクが高まる中、生活と事業を災害から守ることが求められています。強靭な建造物・インフラの構築などを通じて、「安全・安心」でレジリエントな社会の実現を目指します。

  • 貢献するおもな目標
  • おもな取り組み
    橋梁や学校などの修繕・耐震工事のほか、砂防堰堤の構築、河川改修工事などを通して、強靭な建造物・社会インフラの構築に貢献しています。また、地方自治体などと災害協定を締結し、災害発生時などには協定に基づく迅速な対応を行います。
    • 橋梁修繕工事
      (刀水橋)
    • 砂防堰堤新設工事
      (笹沢砂防堰堤)
    • 災害時協定の締結
      (埼玉県寄居町)

誰もが安心して快適に暮らせる地域・社会の実現

地球環境破壊や超高齢社会などさまざまな社会課題が顕在化する中、誰もが安心して快適に暮らせる社会の実現が求められています。事業を通して、誰もが健康で快適に暮らせる地域社会の実現に貢献していきます。

  • 貢献するおもな目標
  • おもな取り組み
    すべての従業員の健康を推進するために、健康診断を定期的に受診しています。また、女性の活躍を推進しており、女性役員比率は50%、建築士比率は30%を達成(2022年現在)するほか、男性の育児休業等取得を推進しています。さらに、創業者が障がい者であったことなどから、ハンディキャップを持つ方はもちろん、年齢、性別、人種、民族、その他にかかわりなく活躍を推進していきます。
    • 女性役員比率
    • 女性建築士比率
    • 地域の清掃美化活動(彩の国ロードサポート)

サステナブルな社会の実現

地球環境破壊や海洋汚染などが社会問題となる中、次世代に豊かな地球を残すことが求められています。サステナブルな社会の実現に貢献するため、サステナブルで地球環境に配慮した事業活動を進めていきます。

  • 事業を通じて貢献するおもな目標
  • おもな取り組み
    浄化槽築造工事や太陽光発電施設敷地の造成工事は吉澤建設工業の得意とする分野であり、積極的に取り組んでいます。また、工事現場で発生したコンクリート、アスファルトなどを再利用し廃棄物削減を推進しています。
    • 浄化槽築造工事
      (テルモ㈱甲府工場
      浄化槽)
    • 太陽光発電施設
      敷地造成工事
      (埼玉県熊谷市)
    • 廃棄物処理施設
      築造工事
      (渋川処分場)

SDGs 「持続可能な開発目標」とは

SDGs(Sustainable Development Goals)は、2015年の国連サミットで採択された「持続可能な開発のための2030アジェンダ」に記載された、2030年までに持続可能でよりよい世界を目指す国際社会共通の目標です。17のゴール(目標)・169のターゲット(項目)から構成され、政府だけでなく民間企業を含むすべてのステークホルダーの寄与が期待されています。